「これからの人にもっと知ってもらいたい」

             1人でも多くの理解を求めて

支部労安部の畠孝夫さん(電工)のアスベスト訴訟に対する想いは大きい。20歳から電工として働き始めた時は、マンションなどの鉄鋼造の現場はアスベストだらけで、木造住宅などでも台所にはアスベストが使われていた。当時は悪いものとは知らないから対策など何もしない。目に入るとチクチクし、首に入るとかゆかった。

―運動を始めたきっかけはなにか

アスベスト訴訟の先駆けとなった大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟をきっかけにアスベストを知り、自分がアスベスト被害者だと知ったのは10年ほど前のこと。毎年欠かさず受診している組合の健康診断で「急に」そう診断された。
「当時は驚いたけど、今のところ悪化はしていない。受けていてよかった」
「48歳で兄を亡くした。肺がんで亡くなった。おそらくアスベストだと思う」
そんな状況もあってアスベストへの運動に精力的に取り組んでいる。組合の健康診断の結果はアスベストの専門家のチェックが入る。少しでも可能性のある人には連絡が入るから安心だ。

 (事務所でインタビューに応える畠さん)

―どんな運動をしているのか

首都圏のアスベスト訴訟の裁判や太平洋セメントに対しての本社包囲行動などにも参加し、国や企業の責任追及、そして基金の創設を強く求めている。
「門は叩かないと開かない。訴え続ける事、そして話し合う事が大事だ」
粘り強い運動を重ねた結果、太平洋セメントとは5月末に話し合いを行うことができた。
「国は一人親方や零細事業主の労災を認めない。自分を含める一人親方や零細事業主は労働者だ。ただ人を雇う力がない。一生懸命働いているのになぜ」
そう話す畠 さんに力がこもるのを感じる。
「海外への補助なども確かに大切だと思うが、まずは国内を守って欲しい。国や家族のために一生懸命働いていた我々の為にも国も基金の創設を進めてほしい」
確かにルールや法律は大事だ。しかし、ここは「心を持って」変えていかないといけないところではないだろうか。

 (集会参加の様子)

 (アスベスト集会の様子)

 

―最後に一言

「これからアスベストの建設物の解体が全国的に始まっていくと思う。アスベストの認知をもっと広く知ってもらえるようにこれからも頑張っていきたい」

 (現場の様子)

アスベストは危ない。これからの建設業を担う若者たちにも是非、関心を持ってもらいたい。